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【青岸渡寺】
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◆概要 |
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熊野那智大社の北隣に位置し、那智山を山号とする。本尊は如意輪観音。古くは如意輪堂と称し、那智山の供僧寺でした。 天竺の僧裸形が滝修行により霊仏を感得し、これを草庵に安置したことが寺の起源とされています。 平安時代後期、那智山は観音浄土とされ、西国三十三所観音霊場の第一番札所となりました。 4世紀頃、インドの僧侶「裸形上人」が開祖であり、天正18年(1590年)に豊臣秀吉により再建。桃山時代の特徴を色濃く残します。 |
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◆歴史 |
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仁徳帝(313〜399)の御代に印度より裸形上人が(釈尊入滅後882年頃)一行六人と共に熊野浦に漂着。 熊野の各地を巡歴し那智大滝に於て観世音を感得し今の堂の地に庵りを造り、其後推古帝の時に(593〜629)大和より生仏と云える聖が来て、玉椿の大木に如意輪観世音彫刻し、前の観世音を胸に納められたと寺伝されてます。 |
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◆詳細 |
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平安中期から鎌倉時代は、「蟻の熊野詣」といわれ、熊野三山の信仰が盛んになりました。 この時、65代花山法皇が三年間山中に参籠され那智山を一番にして近畿各地の三十三観音様を巡拝されてことで、西国第一番礼所となりました。 現在の本堂は、織田信長南征の兵火にかかり、天正18年(1590)豊臣秀吉によって再建。桃山時代の建築をとどめ紀南で一番古い国指定の重要文化財建造物で、この堂の高さは18mで、大滝の落口の高さと同じ。 飛鳥・白鳳時代から鎌倉時代初期にかけての熊野信仰を知る貴重な那智経塚出土品のうち、白鳳、奈良時代の観音菩薩立像、また藤原時代後期の金剛界三昧耶形(曼荼羅を立体的に表現)が国指定重文になっています。境内からは那智の滝、那智原始林、太平洋の眺めもよく、鎌倉時代の重文・宝篋印塔(4.3m)や梵鐘があります。 |
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