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◆後楽園とは?
岡山後楽園は、岡山藩主池田綱政公が家臣の津田永忠に命じて、貞享4年(1687)に着工、
元禄13年(1700)には一応の完成をみました。その後も、藩主の好みで手が加えられましたが、
江戸時代の姿を大きく変えることなく現在に伝えられてきました。
また、江戸時代の絵図や池田家の記録、文物が多く残され、歴史的な変遷を知ることのできる、
地方では稀な大名庭園となっています。後楽園は、かつて藩主の静養の場、賓客接待の場として
使われましたが、日を定めて藩内の人々にも観覧が許されていました。明治17年(1884)岡山県に
譲渡され、一般公開されました。昭和9年(1934)の水害、昭和20年の戦災では大きな被害を
被りましたが、池田家の絵図に基づいて復旧をおこないました。昭和27年には文化財保護法による
「特別名勝」に指定され、後世に伝える歴史的文化遺産として維持管理にあたっています。
<後楽園 庭園>
◆後楽園ガイド
1.延養亭(えんようてい)
藩主が後楽園を訪れた時の居間として使われました。沢の池、唯心山、借景の操山と園内外の景観が
一望できる、後楽園の中心的建物です。
2.能舞台(のうぶたい)
能に熱心であった藩主池田綱政は優れた舞手でもあり、能装束の名品を数多く残しています。時には、
藩内の人々が拝見を許されることもありました。現在の建物は戦後昭和33年に再建されたものです。
3.二色が岡(にしきがおか)
築庭当時は、春はサクラ、秋にはモミジで彩られた林でした。戦後に杉の木立となり、今では市内にあっては
珍しい野鳥が多く飛来する場所となっています。
4.花葉の池(かようのいけ)
東には花葉の滝があり、南西岸には元禄時代初期に巨岩を九十数個に割って運び、元の形に組み上げた
「大立石(おおだていし)」があります。6〜8月頃には大名ハスが見頃となります。
5.地蔵堂(園内の六鎮守)
園内の六鎮守の一つ。二色が岡の中に、静かにまつられています。
6.御舟入跡(おふないりあと)
お城から藩主が舟で渡ってくる時の舟着き場。今は竹林に囲まれています。
7.廉池軒(れんちけん)
園内に点在する亭舎の中で、築庭を指示した藩主池田綱政が最も好んで利用していたものです。
廉池軒からの眺望は、水の景色に優れていて廉池や沢の池が臨めます。
8.唯心山(ゆいしんざん)
園内を見渡せる築山。ツツジの咲く頃は絶景となります。山の中腹にある唯心堂は、月を眺めるのに
良い場所と言われています。
9.流店(りゅうてん)
亭舎の中央に水路を通し、中に美しい色の石を配した、全国でも珍しい建物となっています。
かつては、藩主の庭廻りの時に休憩所として使われ、現在では簡素なたたずまいを伝えています。
10.八橋(やつはし)
八橋に添えてカキツバタが植えられています。この組み合わせは「伊勢物語」の「東下り」にちなんだものです。
11.花交の池(かこうのいけ)
花交の池周辺は、築庭当時はヤマザクラや花木を中心とした景色でした。花交の滝に花が流されてくる
美しさを詠んだ和歌も残っています。園内を巡ってきた曲水は、この池から旭川に戻っていきます。
12.茶祖堂(ちゃそどう)
幕末の家老の下屋敷にあった利休堂を、明治20年頃に移築したものです。戦後再建され、岡山の生まれで
「茶」を日本に伝えた栄西禅師も一緒にまつられたことから「茶祖堂」と呼ばれるようになりました。
13.梅林(ばいりん)
早春、他の花に先駆けて、紅白、一重、八重と約100本の梅が咲き、香りをただよわせます。
14.干入の森(ちしおのもり)
モミジが100本近くあります。春の新芽の芽吹きの頃と、錦を織りなす秋の紅葉は絶景。
園内名勝の一つとなっています。
15.井田・井田のハス(せいでん)
江戸時代初期に岡山藩で試みた中国周時代の田租法である井田を、後楽園では幕末近くなって約100分の1に
縮小し模して作ったものです。現在では、毎年7月の第1日曜日にお田植え祭を行っています。また、2000年の
時を経てよみがえった大賀ハスも植えてあり、6〜7月頃に見頃を迎えます。
16.茶畑(ちゃばたけ)
美しい丸刈りの列が続く茶畑。茶葉はやや苦みの強い古種です。
17.慈眼堂(じげんどう)
慈眼堂は藩主池田綱政が藩内の平安と池田家の安泰を願って建立したお堂です。
仁王門には、平成12年に修復された仁王像が安置されています。
18.沢の池(さわのいけ)
園内で一番大きな池で、中には島茶屋のある中の島、釣殿のある御野島、白砂青松が美しい砂利島があります。
19.馬場・弓場(ばば・ゆみば)
後楽園は、藩主の楽しみの場としてだけでなく、文武両道を怠らぬよう武芸の稽古場も設けられています。
観騎亭・観射亭などは、藩主が家臣の馬術・弓術を上覧した所です。
20鶴舎(タンチョウ)
昭和31年、岡山の旧制第六高等学校に学んだことのある中国科学院の郭沫若(かくまつじゃく)氏から、戦後途絶えた
たままであったタンチョウ2羽が贈られました。その後、釧路市の協力もあり多くが生まれ育ち、その美しい姿が園内に
よみがえりました。現在では7羽飼育しています。
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