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【竜安寺】
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◆竜安寺とは? |
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臨済宗妙心寺派の古刹で、宝徳2年(1450)室町幕府官領細川勝元が、徳大寺家の別荘を譲り受けて、妙心寺の義天玄承を開山として創建しました。 応仁の乱で焼失して、長享2年(1488)勝元の子政元が再興しましたが、寛政9年(1797)火災で方丈・仏殿・開山堂を焼失したため西源院方丈を移築されました。 |
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◆竜安寺石庭とは? |
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石庭は室町末期のに作られたと言われますが、はっきりした作庭年代は不明で、作者・作庭意図もはっきりしていません。そのため、作者については各説あり、相阿弥、細川政元、また庭石背面に彫られている小太郎・彦三郎が、1488-1525年頃築造したものと言われています。 庭の意味としては、15個の石は虎が子を連れて龍に向かっているさまを表わし、白砂は海あるいは大河を意味するとの説が有力です。 また、エリザベス女王や哲学者サルトルが、この石庭を絶賛したこで、海外でも最も有名な日本庭園とされています。 |
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◆つくばいとは? |
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つくばい〔手洗鉢〕中心の口をでそれぞれの文字漢字にすると、『吾れ唯足ることを知る』と成り、知足のものは貧しといえども富めり、不知足のものは富めりといえども貧し、という禅の格言を謎解きに図案化された無言の悟道です。また、徳川光圀(水戸黄門)の寄進といわれているが、本物は方丈の東北側にある非公開の茶室「蔵六庵」に置かれてあり、方丈の北側にあるものは精確に作られた模造品です。 |
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◆見所! |
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禅の心を表す石庭として大変有名なお寺です。石庭は、白砂を敷つめた長方形の平庭を柿葺き油土塀が三方を囲むように形成し、白砂の上には15個の石があります。この石は東から西へ7・5・3個という石組みで配置され、その石組みのまわりには苔の緑が見事に縁どられ絶妙です。人によっては、海の景色を写しだそうとしたとも、虎の親子が大河を渡っている様子を表現しているとも解釈されており。俗名を“虎の子渡しの庭”とも言われています。
禅の極致を表現した永遠に新しい庭といわれるこの庭を前に、日々の忙しさから開放され静かな時の流れを感じて見てください? |
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