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【熊野本宮大社 (熊野三山)】
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◆概要 |
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古くは「熊野坐(くまのにます)神社」という名で呼ばれていました。熊野三山の中心で、全国に3000社以上ある熊野神社の総本宮です。34回と最多の熊野御幸を行った後白河上皇(1127〜1189)は、『源平盛衰記』によると、本宮へは34回訪れていますが、新宮と那智は15回。 新宮と那智を略して本宮だけを詣でて熊野御幸を済ますこともしばしばあったことからも、本宮が熊野三山の中心であることがわかります。 |
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鳥居の前に立つと、まず、大きな八咫烏(やたがらす)の幟が目を引きます。八咫烏(やたがらす)は熊野権現の使い。三本足の烏です。日本サッカー協会のシンボルマークでお馴染みですね。 |
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◆生い立ち |
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かつては「熊野坐神社」と呼ばれた神社で、周囲を山岳に囲まれた盆地を貫流する熊野川の中洲に古代の創祀以来鎮座したが、1889年の熊野川の水害に罹災した後、流失を免れた主要社殿三棟を1891年に現在地に移築し、再建したものである。 記録の上では859年に初めて現れ、10世紀後半には熊野速玉大社と熊野那智大社の主祭神を勧請、合祀して熊野三所権現として祀るようになった。また、11世紀にはさらに眷属神を加えて「熊野十二所権現」の祭祀形態が成立し、信仰を集めた。 |
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熊野本宮大社社殿は、1801−07年すなわち水害以前の再建時の部材が大部分を占める。それらの建物の配列は、熊野那智大社・熊野速玉大社の主祭神を合祀する一棟、主祭神の一棟、若宮の一棟が、東西横一列に並ぶのが特徴で、11世紀の参詣者の日記や1299年に描かれた絵画によって確認できる伝統的な形態を保持している。 |
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