名古屋城は、江戸城や二条城などに次いで徳川家康が造った最後の大城郭であり、江戸幕府の城郭様式が最終的に定められた名古屋城の歴史的意義は極めて大きいものです。特に本丸御殿は、玄関、表書院、対面所などが連続した武家屋敷の典型であり、建築や絵画、工芸史において最も豪壮華麗と言われる安土桃山から江戸初期に造られた近世城郭御殿の最高傑作でした。名古屋城の築城は慶長15年(1610)に始まり、同17年(1612)には天守閣や諸櫓が完成しました。続いて本丸御殿は同20年(1615)に完成しました。
当初、本丸御殿は尾張藩主義直の居館とともに藩の政庁として使われましたが、その後、将軍が上洛する際の宿館となり、寛永11年(1634)には最も豪華な上洛殿が増築され、3代将軍家光が宿泊しました。
明治維新の後、名古屋城には名古屋鎮台が置かれ陸軍省の管理となり、明治26年(1893)には、本丸や西の丸などが宮内省に移管され名古屋離宮となりました。昭和5年(1930)名古屋市へ下賜の後は、天守閣や本丸御殿は国宝として保存されてきましたが、昭和20年(1945)5月に戦災で焼失してしまいました。天守閣は昭和34年(1959)に外観復元されましたが、本丸御殿は礎石のみを残して今日に至っています。
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