【サンマルコ広場】

ベネチアの中心広場。市政と祝祭行事の舞台としてベネチアの歴史を刻む。

現在は同市第一の観光名所として世界的に有名。ピアッツァ(広場)とピアッツェッタ(小広場)の、L 字形に連なる2部分に

分かれ、前者の東辺にサン・マルコ大聖堂が、有翼ライオン像とテオドルス像を載せる2本の大円柱を介して海に開く、

後者の東辺にパラッツォ・ドゥカーレ(総督宮)が位置する。広場の歴史は最初期のパラッツォ・ドゥカーレと聖堂が創建さ

れた9世紀にさかのぼるが、現状に近い形をとったのは運河を埋め立てて拡張、整備が行われた12世紀中ごろである。

   



12〜15世紀にかけてパラッツォ・ドゥカーレの改修、再建を含む広場の整備が進み、ルネサンス時代にはコドゥッチ

Mauro Coducci が旧行政館横に時計塔を、ベネチアの公共建築行政主任を務めた J. サンソビーノがパラッツォ・

ドゥカーレに向かいあうサン・マルコ図書館と鐘楼下の柱廊を、スカモッツィが新行政館を建設し、19世紀初頭に

ナポレオンが改修したピアッツァ西辺(〈ナポレオンの翼〉)を除いてほぼ現状の姿が整った。

   



広場の結節点に立つ鐘楼(高さ99m。ガリレイはこの塔から天体観測を行った)は10世紀の監視灯台(16世紀再建)を

転用したもので、1902年の倒壊後、復元された。ナポレオンは、連続するアーケードで囲まれた広場を、〈ただ天空

のみがその屋根としてふさわしいヨーロッパ最美のサロン〉と表現した。

   

 

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